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「そして、生きる」~考え過ぎた先の優しい人々の人生?~

これを過酷な運命と言うこともできるし、ただただそのように描くこともできる。

しかし脚本家・岡田惠和は、決して安穏とはしていない背景を持つ途上人物たちの人生を、柔らかく優しく描き出す。

 

「そして、生きる」WOWOWオリジナル 全6話

有村架純/坂口健太郎/知英

脚本・岡田惠和

 

「後悔はしていない。自分で選んだんだから」と、東北の震災ボランティアから約8年間の自分の生きてきた道のりを、最終話で元恋人に言い放つ瞳子(とうこ/有村)。

瞳子は、ボランティアで知り合った清隆(坂口)がNPOの職員としてフィリピンの子供たちを助けるために旅立とうとしているのを邪魔したくなくて、妊娠していることをうちあけられなかった。そして、流産。

振られてしまったと勘違いしていた清隆。フィリピンでテロに巻き込まれ、負傷して帰国。助けていた少年に偽善者と言われたこともあって、PTSDに。帰国した空港でハンちゃん(知英)と会い、そのままいっしょに暮らすことになった。ハンちゃんは韓国人で、瞳子の友人でもある。

瞳子と清隆は、ともに幼い頃に両親を亡くし、おじ、おばに育てられた。

瞳子には女優になる夢があった。清隆は、人の力になりたいという夢を抱いていた。

 

いったん離れた恋人同士。最終話では寄りが戻ってほしいと思うのは、視聴者の身勝手な物語の回収である。

 

このドラマを観ているとき、なぜか是枝裕和監督の作品ではないかと何度も錯覚した。

「生と死」が、過剰な演出もなく、不自然に感動させるのでもなく、上品にそして率直に黙々と描かれ、こちらへと迫ってくる。

 

ボランティアの助けを得て理髪店を再開させた気仙沼の坂本(萩原聖人)が、どうしても人の役に立つ仕事をしたいという清隆に「おれたちのことを美化するな」と言うセリフには重みがある。

清隆は、おじおばに引き取られたとはいえ、とても裕福に幸せに育っている。贅沢かもしれないが、何か物足りなさを感じていたのかもしれない。同時に、もしかしたら死に急ぐような、つまりいつ死んでも本望であるかのようなある種の覚悟を決めた潜在意識があったのかもしれない。ゆえに一流企業の内定も蹴った。

瞳子は、地元アイドルとしては活躍していたが、東京で女優になる夢は結局叶わなかった。ある日突然現れた高校の後輩だという青年・真二(岡山天音)と結婚して子供を産んだが、真二は勤務してる会社の社長とともに詐欺容疑で逮捕される。それでも離婚はせず、出所を待っている瞳子

 

最終話で、新しい生きがいを見つけて仕事をしている瞳子と清隆が、仕事を通して再会。再び結ばれるのか?と思いきや、二人はそれぞれ自立した道を歩んでいく。それでもお互い好きな気持ちは変わらない、ということは確かめ合って。

 

韓国人のハンちゃんには、そんな二人のぐずぐずとした心の態度が理解できない。日本人よりもずっとストレートなんだと思う。

私としては、こういう抑制的な愛を美しくないとは言わないが、リアリスティックに考えれば、瞳子は妊娠が分かった時点で、清隆の仕事がどうであれ、事実を伝えるべきだったと思う。あれが全てのボタンの掛け違えのはじまりだったと思うので。……そんなことを言ったら「ドラマ」は始まらないが。

 

良質な作品だった。

最近の民放ドラマで目立つ煩い画も演出もなく、落ち着いていてよかった。

 

テーマ曲が、「時をかける少女」に少し似ていた。芳山和子(原田知世)がタイムトラベルするときの様子が目に浮かんできた。

 

ハンちゃん役の知英はKARAのメンバーだった、というのがびっくり。とてもうまい。これまでにもいくつかのドラマでその姿を垣間見ていたようだが、気づかなかった。自然に日本のドラマに溶け込んでいるのだろう。

是枝監督の映画「空気人形」で主演だった韓国の女優ペ・ドゥナも、素晴らしい役者だった。

韓国の役者はレベルが高い。

 

WOWOWホームページの岡田惠和のコメントに次のようにあった。

「そして、生きる」は、自分の進路や人生の大きな選択の前で悩む年ごろに、3.11東日本大震災を経験した「繊細で心優しい世代」の人生を描いたドラマです。ひょっとすると震災によって彼らは「生きる意味」を考えすぎてしまうのかもしれません。傷ついたり、逃げてしまったり、選択を間違えたりしながらも、必死で生きていく彼らのドラマは、今を生きるすべての人の心を動かせると信じております。

 

瞳子と清隆は考え過ぎてしまったんだな。そして、にべもなく言ってしまうと、二人は選択を誤ってしまった。ゆえに、愛し合っているのに共に生きていくことができない。けれどもそれを、瞳子は、自分で選んだ道だからと二人の間に後悔は存在しないことを告げている。

 

「遠慮」っていいことなのかな?

瞳子と清隆にも、ハンちゃんのように正直に生きる道もあっただろうに。

ハンちゃんは、瞳子と清隆のカウンター的象徴だ。だから、日本人ではないのだろう。

カウンターはすなわちレジリエンス(復元力)になりうる、と私は思っている。

 

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「そして、生きる」 ©2019kinirobotti

瞳子の住む町へ取材に来た清隆。偶然の再会。

瞳子は、狩猟免許を取得すると言う。お年寄りが多いから後継者がいない。ここで働いている女子たちで免許を取る。そうしないと作物が荒らされ放題になってしまうから、と。力強い。