ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

日本は幼稚なのか?~ヤマザキマリ「男性論」第5章参照①~

2019年春ドラマがはじまる季節となった。私はドラマフリークを自称し、「ドラマカデミア」なるサイトまで立ち上げてドラマ評を書いてきた。

が、繰り返し書いて本当に本当に申し訳ないのだが、昨年後半あたりから、日本のドラマを楽しむことがほとんどまったくできなくなってしまった。今シーズンは観たとしても2~3になると思う。

 

こうなってしまった要因に、最近CS放送やネット配信などで海外ドラマ・映画をいつでも 十分に視聴することができるという環境になったことがある。つまり、数多くのニュースも含めた海外放送を観ることができる、観ている、ということだ。それらを観ながら、日本のドラマやニュース番組をつまらないと感じてしまうのはなんでだろう、と首を傾げていたところ、「幼い?」「日本人は幼い?」という感覚が私の心にやってきたのである。するとふと昔の記憶が甦ってきた。

「洋楽しか聴かない」

「洋画は字幕でしか観ない」

私が小学校高学年から中学生のころ、いとこのおねえさんや友人のおねえさんたちがそう言っていた。彼女たちの家へ遊びにいくと、だ~っと洋楽のLPが棚に並んでいた。西洋かぶれなどとほざくおじさんたちを尻目に。どうやら彼女たちは高い審美眼を持っていたようだ。21世紀の今思い返してそう確信している自分がいることに、驚いている。

海外ドラマ(主にアメリカだが)を集中して観続けていると、日本のドラマがまことつまらなくみえてくる。観ているのが苦痛にすらなるほどだ。そして気づいたら私も、上記のおねえさんたち同様に「吹き替え」ではほとんど観なくなっていた。同じ声優が複数の俳優の声を担当しているので、別の俳優なのに同じイメージになってしまったりする。声優ファンには良いのかもしれないが、純粋にドラマを堪能したい者としては、その俳優の演技を楽しみたい。声や話し方はドラマ全体にも影響を与える。

 

ドラマだけではない。ニュース番組も同様だ。むしろ報道番組こそ、日本のものは「幼稚」に見える。芸能、スポーツ、天気、グルメが満載、というかそればかり。世界で何が起きているか分からなくなる。国内ニュースでも政治や社会問題には賢明な論評もなく、権力者サイドの広報と化している。コメンテーターという存在もいるが、大した批評をしていない。CNNなどを観ていると、キャスターも専門家もなかなか鋭く厳しい話をたくさんする。面白い。そして真剣だ。さらに付け加えると、日本の場合、なぜか「子ども」や「タレント」がコメンテーター席に座っている。CNNなどとは全く画面の様子が違う。そもそもあちらのキャスターはひとりだ。こちらは司会者、アナウンサー、コメンテーターがずらりと並んでいたりする。そして、ひたすら語るという場面がない。日本人はバカなのだろうか?作り手も視聴者も。エンタメ化しないと理解できないとでも?

 

ドラマに話を戻す。

あるとき、チャンネルを変えるとそこに日本のドラマが映しだされた。「あれ?この俳優、こんなに演技へたくそだったっけ?」と思ってしまった。海外ドラマの場合外国語なので分かりにくいがそれでも、この人ダイコンぽいなと感じる演技に出くわすことはある。が、どうも海外の役者のほうが演技がうまい、というのが私が近頃いきついた結論だ。

演技、内容もさることながら、日本のドラマはテーマソングなるものがうるさい。海外ドラマはシンプルだ。シーズンを重ねてもテーマ音楽は変わらない。日本の場合は有名歌手とのコラボだったりする。そしてそれはドラマの雰囲気を壊している場合が多い。

海外ドラマ、特にハリウッドと日本を較べるとき製作費の違いについて話す日本の制作者や役者は大勢いる。それだけお金を掛けられればいいドラマがつくれるよ、そんなにたくさん出演料もらえるなら役者だってやるよ。確かにそれもあるだろう。予算もギャラも桁違いであることは、いち視聴者の私でも聞き及んでいる。が、問題はそこだけではないし、それが一番大きいとも思えない。お金が解決してくれることは多いだろう。だが、演出や演技や脚本はお金を掛ければレベルアップするというものでもないだろう。監督、演出家、脚本家、俳優自体の能力というよりも彼らを選ぶディレクターやプロデューサーの手腕のほうが問題は大きいのかもしれない。そこには事務所的に使う俳優が決められたりする問題や、スポンサーに左右される脚本とか、政治的プレッシャーなども絡んでくるのだろう。

海外ドラマにも観るに堪えない作品はもちろんあるし、拙劣なシーンだってある。が、往々にして「おとな」な感じがする。

いずれにせよ、私自身の感覚の方がレベルアップしてしまったということが、日本のドラマや報道番組を評価することができなくなってしまった一番大きな理由におそらくなっているのだろうと思う。

 

さて、日本は幼稚なのだろうか?

「この国の人たちは、心が清らかで親切でかわいらしい。だけど幼稚だ」

イエズス会の宣教師として、安土桃山時代の日本に来訪したアレッサンドロ・ヴァリニャーノは、各地を巡察したのち、日本についてこう書き記しました。

それから約四五〇年。いままた、日本についての一冊のエッセイがイタリアで出版され、局所的に話題になっています。タイトルはずばり『世界でいちばんばかな国』。東京大学に短い期間ながら在籍していたイタリア人の学者、クラウディオ・ジュンタが書いたもので、そのなんともセンセーショナルに「ばかな国」として名指しされたのが、日本なのです。

(「男性論 ECCE HOMO」ヤマザキマリ 文春新書 P164)

このエッセイは、ヤマザキマリによると「日本に対する批判を通じて、自国イタリアを批評することを目論んでいます」ということではあるが、聞き捨てならないタイトルだ。しかし安土桃山時代の宣教師もそう思ったんだなぁ、と思うと何とも言い難い。単にヨーロッパ文化と較べて遅れているということだったのか、それとも基本的な、精神的なことだったのか。その書物の詳細を知らないので、憶測で入り込むことは避けなければいけないが、最近の日本の様子を見ていると本気で「さもありなん」である。

 

内容ですが、なかなか痛いところをついています。

まず、日本で高尚な話ができる相手は、ごく少数に限られているということ。学者や、ごく一部のマイノリティを除いて、建設的な論議ができないといいます。そもそも話し合いを嫌うと。男女間も含めた人間関係全般に成熟したものが見いだせないのは、「対等な話し合い」という文化がないから、というのが著者の見方です。

(「男性論 ECCE HOMO」ヤマザキマリ 文春新書 P165)

痛いところをついているというようりも、端的に日本(人)の未熟さ加減を書き表していると思う。私のタロット占いの師匠はヨーロッパ人なのだが、この学者と全く同じことを言ってよく嘆いていた。

「高尚な話ができる相手はごく少数」つまり、哲学的な話から政治の話まで、日本ではできない。これは本当だ。そういう話をすると大変ひかれてしまったり、ときにバカにしてくる。勉強をいっしょうけんめいしている人をからかう、という悪癖もこの枠に入るだろう。いわゆる「冷笑主義」というやつだ。「高尚な話ができない人が高尚な話ができる人を笑う」という風土。これはいったいなんなんだろう。いつ始まったのか、民族性、DNAなのか、教育なのか、学者の方々の研究論文を読みたい。

CNNを観ていていつも思うのは、あちらの方々は本当に「よく喋る」ということだ。しかも明確に意見する。

 

小田嶋隆がこのようなツィートをしている(抜粋)

非政治的に振る舞うことは、保身のために不可欠な条件なのだと思う。

うちの国では、政治的に振る舞うことのリスクが異様なほどに高く見積もられているからで、それゆえ、政治的に振る舞うことのリスクはどこまでも高くなって行く。

つまり「みんながこわがっていること」をあえて口にする人間はみんなにこわがられるわけで、結局のところ、臆病者たちがお互いの臆病さを「理性」と呼ぶことに決めているこの国では、臆病でない人間は「バカ」ということになる。

 総合すると日本(人)は「幼稚」で「バカ」ということか。

 

役者や報道キャスター(日本ではアナウンサーと言われているが世界にはこのような職業はないそうだ。ニュースを読むだけはニュースリーダーと言われる。日本にはキャスターやアンカーと言われる存在は正確にはいない)の話しぶりや顔つきを見るとき、日本人は確かに「幼い」。「平たい顔族(「テルマエロマエヤマザキマリ)」なので、人種的に容貌が若く見えるということもあるだろうが、どうもそれだけではなさそうだ。少なくとも、海外の役者やキャスターの顔、目は真剣だ。真剣に話す。アジア系の人もきりりとして見えるので「平たい顔」だけが問題なのではないと言わざるを得ない。精神的自立性を環境や教育によって身に付けている、ということなのかもしれない。日本人はいつも誰かの顔色を窺っているように見える。意志がないように見える。演技もさることながら、例えばトーク番組でも、役者とキャスターのやり取りが、日本の場合「幼い」。質問するほうも答えるほうも、あちらは哲学や教養を感じる。質問者も記者も、日本のような馬鹿げた質問はしない。それは政治家と記者の関係も同様だ。言語的要素の違いもあるのだろう。様々絡み合っている。

人種的言語的要素が「幼稚」さを生み出しているのだすれば、それは変えようがない、のかもしれないが、教育の効果というものがあることは忘れてはいけない。 

さらに付け加えれば、ドラマもニュースも娯楽番組も、その幼稚さの根底には制作者サイドの「誤謬的上から目線」があると思う。つまり彼らは、出演者も視聴者も「バカにしている」のである。そしてその偉ぶっている目線も、いやそれこそが「幼稚」なのではないか。 

 

さて、いろいろ書いてきたが、私は幼稚でない日本のドラマや報道番組が観たいだけなのである。

そんな私は今日もまた、海外ドラマ・映画を放送しているチャンネルに合わせ、ジャーナリストがキャスターであるCNNを見るのだった。

 

CNNのクリストファー・クオモの番組「クオモプライムタイム」。フリップとかアシスタントとかいらない。アンカーと専門家たちの対話、討論。成熟している。

f:id:risakoyu:20190420100312j:plain