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ネガティブ・ケイパビリティNegative capability~スティーヴン・キング作品の謎が解けないときどうする?~

繰り返し書いて申し訳ないのだが、

映画「IT」を観てから、すっかりキングファンになった私。「IT」が特段素晴らしいというのではなく(面白かったが)、え?あれもキングなの?これも?ということに、「IT」をきっかけとして遅ればせながら知り得た体験を経て、少し興奮しているのであろう。「IT」を観たあとに「これってスタンド・バイ・ミーのホラー版だな」という感想を持った私が、「スタンド・バイ・ミー」もキング作品だったということを知ったときどれほど驚いたことか。驚いたのはキングの才能と、そして私自身の審美眼、慧眼。

それ以来、キング作品を気に掛けるようになった。

折しも「キャッスル・ロック」というドラマの放送がWOWOWで始まった。ショーシャンク刑務所(そう、「ショーシャンクの空に」もキング作品なのである)とその街キャッスル・ロックが舞台となっている。キングの集大成とも言われており、多くのリンクが張られている。

 

いわゆるヒューマンドラマ系とホラー系に大別されるキング作品。

ヒューマン系は、物語の結末があって、とりあえず収まっている。

ところがホラー系には、結末がゆるやかなものがある。収まっていない。え?結局どういうことだったの?どういう意味?あれは何だったの?この先どうなるの?どこかに答えがあるのだろうと探すが、ない。

「キャッスル・ロック」を観ながら、ようやく「そこ」にたどり着いた。どこへかと言うと「結末への答えはないんだ」というところに。

私はてっきりキングが、物語を終わらせたくないのか、あるいは、終わらせ方を知らないのか、あるいは、自分の生み出した世界観が大きすぎてその全体像が本人にも分からずまとめることができないのか、などと推測していた。もしかしたら、そういったこともあるやもしれないが、

ネガティブ・ケイパビリティNegative capability」という概念を知ることで、今のところ私のなかでは決着がついた、と思っている。

 

2019年3月のNHK「100分de名著・夏目漱石」のなかの「夢十夜」の回で「ネガティブ・ケイパビリティ」は触れられていた。恥ずかしながら私にとっては新しい知識、概念だった。私の心にはすぐさまキング作品のことが過った。「あ、これかぁ」と。

「Negative capability」は「分からないものを、分からないまま受け入れる力」だと、番組のなかで阿部公彦(英文学者・東京大学教授)が講義。この言葉は、詩人ジョン・キーツが手紙のなかで1回だけ述べている言葉だということだ。それはシェイクスピアについて書かれている箇所だ。「分からないこと、謎めいたものを、分からないまま受け入れて表現したところが素晴らしい」と。

ウィキペディアにはこうある。

キーツの「ネガティブ・ケイパビリティ」の理論は1817年12月21日日曜日付けの弟宛ての書簡に表明されている:

私はディルクにさまざまなテーマで論争ではないが長い説明をした。私の心の中で数多くのことがぴたりと符合しハッとした。特に文学において、人に偉業を成し遂げしむるもの、シェイクスピアが桁外れに有していたもの――それがネガティブ・ケイパビリティ、短気に事実や理由を求めることなく、不確かさや、不可解なことや、疑惑ある状態の中に人が留まることが出来る時に見出されるものである。

 

小説でもドラマでも映画でも演劇でも、物語作品には「起承転結」があって当たり前だ。いや、むしろそれがないと減点される。学校の先生たちは「起承転結」を合唱する。それで作文が嫌いになった生徒も多いのかもしれない。詩にも絵画にも、基本や定型というものがあるのだろう。基本を勉強したこともない人は崩すな、とはよく聞くアドバイスだ。

ところが実際の私たちの人生は、それほど明確な「起承転結」を物語っているわけではない。むしろ「因果律」の繰り返しだ。「起承転」の繰り返しかもしれないし、ときに「起承」の繰り返しかもしれない。いや「起承起」ならその「起」は「転」になるのか?

一方でそれらは「誕生から死」という大きな括りの「起承転結」なのではあるが。

 

何でもかんでも数字で割り切れるわけではない、定量的に評価できるわけではないのに、どうやら無理やりそうしようとしているのが現代社会のようだ。民主主義とは別の方向で。

 

ドラマや映画のあらすじを知りたがるのは、「で、結果どうなるの?どうなったの?」という強い好奇心からだろう。あやふやな余韻の残る物語にはどうしても不満が残る。「え?なに?どういうこと?」と。

実話を下敷きにした物語やドキュメンタリーに近い物語は、最後にその人物の人生のその後、どのように人生を終えたかを明確に示してくれる。これは明瞭に分かっていることなので情報として必要なことだ。逆にすっきりさせてくれなければ困る。

 

もとい、スティーブン・キングである。

私は小説は読んでいない。映画のみから受けた私の感覚だが、「キャッスル・ロック」「IT(これは小説で結末だけ読むというアンフェアな裏道を通ってしまったので、物語の最後は知り得ている)」「ダーク・タワー」を観る限り、何が始まりで何が終わりなのか、理解しがたい領域を私は感じる。

時間のパラドクスやパラレルワールドというのはそんなもんだ、と言ってしまえば身も蓋もない。キングは独自の宇宙観を持っているようだが、この情報は深みにはまる類いの非論理的、非合理的、非理性的世界観だ。

 

私は何とかしてこのキングの不可思議ホラー世界を理解しようと心を砕いていたのだが、「ネガティブ・ケイパビリティ」理論を知ることで救われた気分だ。

それでいいんだな、と。

「キャッスル・ロック」シーズン2があるということで、じゃあシーズン1の謎が解けるのかな、と期待したが、アンソロジードラマだということでがっかりしていた。が、おかげさまで「ネガティブ・ケイパビリティ」を認識したので、次シーズンを楽しみに待ちたい、と心穏やかにしているところである。

 

「キャッスル・ロック」のなかで印象的なシーン、セリフがある。

こちらの世界で人生に苦しんでいるモリーという女性。別の世界からやってきてショーシャンク刑務所に監禁されていた青年(自分ではヘンリー・ディーバだと言っている)に「そっちの世界の私はどんな様子か」と尋ねると、彼はこう答える。

「Happier」

パラレルワールドがあるなら、そちらの自分はどんなだろう、と思いを致すのはごく自然だ。とくに、今の生活や人生に不満足で、こんなはずじゃなかったと感じている人にとっては是非とも知りたい情報だろう。より良いのか、より悪いのか。

より悪いと言われたら、今の自分は幸福なんだ、と思えるか?

より良いと言われたほうが、安心するのか?

それとも、知らない方かよかった? 

ちなみに、より幸せそうだと言われたモリーは、森のなかで少年を助けようとして殺されてしまうのですが。

 

そういえば誰かが言っていた、アベのいない世界に行きたい、と。例えば、トランプが大統領ではない世界、というのもあるそうだが、宇宙存在バシャールによると、自分が今見ている世界は自分の心が選んでいる、のだそうだ。

けれどもその別の世界にいる自分は、その別の世界を選んだということなのだから……