「僕らは奇跡でできている」フジテレビ(カンテレ)火曜夜9時
脚本/橋部敦子
出演/高橋一生 榮倉奈々 要潤 児島一哉 戸田恵子 小林薫 田中泯
主人公・相河一輝(高橋)は動物行動学を研究している大学講師。
一輝はかなりの変人だが、その素直で率直な言動に周囲の人々が感化されていく物語。であると、今のところ私は理解しています。
第5話
毎回印象的なシーンやセリフはありますが、今話は特に、21世紀に生きる迷える私たちと社会へ向けてのvery goodなセリフがありました。
対話の相手、水本育実(榮倉)は、エリート歯科医師。頑張り過ぎて空回りの最中。それに気づいてなのかそうでないのかは分かりませんが、一輝は育実を森へ誘います(リスの通り道をつくる手伝い)。
雨が降ってきて、小屋のなかで雨宿りをしている二人。
新庄さん(一輝の学生)から聞きました。自分が新庄さんだったら、こんにゃく屋継がない、って言ったそうですね。
はい。言いました。
どうしてですか?
主語が新庄さんではありませんでした。
主語?
こんにゃく屋を継ぐ理由の主語です。先生がこんにゃくをすごいって言ったから、親が喜ぶと思ったから、って言ってました。
いけませんか?それだってちゃんした理由だと思いますけど。
はい。
引き継ぐものがない人には分からないんですよ。親が積み上げてきたものを引き継いで、よりいっそう歯科医師として多くの人たちに貢献することが、私の一番の願いですから。
それ本当の願いですか?
どういう意味ですか?
楽しそうじゃありません。
それは、今はまだまだ足りないことがたくさんあって、もっと成長しなきゃいけなくて、楽しいのはその願いが叶ったときです。
それいつ叶うんですか?
…それは、私の努力しだいなので…分かりません。
(コーヒーを入れる)
相河さんの願いは何ですか?
ないですね。
え?
今は思いつきません。
そうですか。
(コーヒーを飲む)
あ、願いありました。
何ですか?
僕の歯の治療なんですけど、インプラントかブリッジですよね。歯を抜いてあいた穴は歯でうめたいです。他のものでうめたくありません。
そ…それは残念ですけど、叶いません。
残念です。
あ、歯ブラシ持ってます?
いえ。
(一輝はリュックのなかから子ども時代の宝(ガラクタ)を大事にしまってある缶を取り出し、そのなかから歯ブラシを取り出す)
僕の使ったやつですけど。
(一輝は歯ブラシを育実に渡す)
(育実はその歯ブラシで、コートについた汚れをこすって取る)
「主語」が誰なのか。
それは「本当の自分の願い」なのか。
「楽しそうじゃない」と、一輝に見抜かれている育実。
世の中、楽しいだけじゃ生きていけない、好きな事やって食っていけると思うなよ、人生なんて苦しいもんなんだ、みんな我慢してるんだよ、……
そんなネガティブな言葉を、私たちは散々聞かされてきました。親からも親類からも、学校の先生からも、友人知人からも、近所の誰それからも、塾の先生からも、メディアからも。
親の喜ぶ顔がみたい、親を喜ばせたい。そんな気持ちで仕事を探したり就職したりする人は多いのかもしれません。最初からそうでなくても、複数のなかから選択を迫られたとき、その基準に何をもってくるでしょうか?給料の多寡かもしれません。親が喜ぶ方だったり、世間体だったりするかもしれません。自ずとそれは、会社名だったりするのかもしれません。
出産もそうです。親が産めと言っているから、親を喜ばせたいからと言う人は多いです。
仕事の場合も、やめたいけど親が悲しむ、家を出たいけど親が心配、このようなセリフは悩みの定番です。
単なる受け売りだったり、こういうときはそういうものだ、という世間的風習のひとつになっているセリフなのかもしれません。
それでもはっきりしているのは、例えば上記の場合は、勇気がなくて一歩踏み出せない言い訳に親を使っているだけです。親のプレッシャーに悩んでいる姿は、一見すると親孝行な人間、善良な市民に見えます。親が心配だ、親を喜ばせたい、と言われて、親の言うことなんか聞かなくていいよ、親は捨てなさい、などとアドバイスするほうがうっかりすると責められたりしてしまいますから。「やらない理由」「本心を言わない理由」としては好都合になります。
「あなた」はどうしたいのですか?それをするのは誰ですか?主語は誰ですか?
一輝の問い掛けもこれです。
主語である「私」が本当に「楽しい」方、を選ぶ人は少ないのかもしれません。いや、給料が多ければ楽しいし、親が喜べば、世間に自慢できれば楽しい、のかもしれませんが。けれども、世の中がこれほどギスギスしているということは、ストレスがたまりにたまっているということは、科学的に数値をあげて証明しなくとも、それは「楽しい」ことではない、ということの証拠になっているように私は思っています。
歯ブラシのくだりは、歯ブラシも色々に使える、ということと、もうひとつは、こだわりの強い一輝が、宝箱のなかの大事なものを育実に使わせてあげたという、極めて合理的な発想なのかもしれませんが、それが優しさにも直結しているという自然な行動を、無理なく表現している脚本家・橋部敦子の思いと脚本力が伝わってきます。
大学構内。学生・新庄と教授・鮫島(小林薫)の対話。
相河先生、願いがないって言ってました。それって、満足してるってことですよね。
満足しているから願いがないっていうのは、違うんじゃないかな。
どういうことですか?
目の前のことを夢中になってやっていくうちに、願いが叶っちゃうんじゃないかな。だから、いちいち考えないんだよ。
「目の前のことに夢中になる」とは、「今を生きる」ということなのでしょう。
過去にも未来に生きていない。後悔が過去に生きること、不安が未来に生きること。
失敗も含めて、終わってしまったことをいつまでも引きずっている人は過去を生きている人です。自分はまだまだだとして、未来のどこかで叶うかもしれない願いのために今を犠牲にしている人はやってくるか分からない未来を生きています。
一輝は、「今を生きている」。
タロティストとして言わせていただきますと、この感覚はタロットカードの「死神」なんですよ。
おそらく大抵の人間が、今やりたいことをやっていません。誰がつくったのか分からない常識や世間体なるものに従わされ、そして苦しんでいます。
育実のように気づかずに、それが最良の道で誰でもそうなんだろうと信じて、そうしている人もいます。
新庄のように何気に苦しみながら自分を探している人もいます。少々疑問を持ったとしても、大抵の場合、通りいっぺんの周囲からの助言に従ったりして、それいいんだと自分に思い込ませながら人生の選択をしてしまいがちです。
これをやり終えてから…、何歳になったら…、忙しくて…、と人はよく言います。
そうして人は、本当にやりたいことをやって楽しむ時を先送りにして、そして「その日」「その時」はたぶん、とうとう来ません。
さて、ドラマは後半へ入っていきます。
来週も楽しみです。
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