ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

「傷つくことだけ上手になって」って本が昔ありました~上手に傷つこう~

つかこうへい、でしたね。

学生のころ、新宿紀伊國屋ホールへ、つかこうへいの演劇をよく観に行きました。

風間杜夫平田満、石丸 謙二郎が舞台に立っていました。

 

「傷つく」って何なんだろう、とあらためて思ってみました。

「傷つく」ということは「傷つける」人がいる、ということ。

自損事故もあるかもしれませんが、心の自損事故とは何でしょう。過去を思い出すとか、未来を不安に思うとか、現在なら、思い込み、誤解、無知な自虐……。

あまりにひどいときにはいわゆる「うつ」状態になりかねない、そんなこともあります。

なかには、世界で起きている悲惨な出来事、自国での事故や事件、ときに政治のあれこれを報道で知って、つまり傷ついている人たちや不具合や理不尽を知ることで憂鬱になることもあるでしょうか。私の友人は、飢餓で苦しむ人たちのニュースを見て、ごはんが食べられなくなってしまいました。

 

いずれにせよ、今現在の自損事故も含めて、「傷つく」ということには、他人という存在がそこにあることは確かです。そこに思い至りますと、じゃあ傷つかないためには誰とも会わなければいい、という結論に達するのは当然の成り行きだと思います。

けれども、どんなに閉じこもっても、世間と全く遮断された空間というのは、おそらく今の世にはありません。テレビもネットも何もない環境でじっとして生活できればいいのでしょうが、地球上どこにいても、近い将来では月でも火星でも、何らかの情報は、生活している限り入ってきます。有名人から市井の人々まで。

 

嫌なものからは離れる、遠ざけておくに越したことはありません。例えば、わざわざ自分を傷つけた人を目の前に置いて心を整える修行をするような時間は非効率と言わざるを得ません。

 

トラウマの場合は、気づかないままに自己制御したり自己卑下したりして、それが自分の性格だと勘違いして生活している場合もあります。が、明らかにマイナスの思い出がある場合は、せっかく心から追いやっていたつもりだったその人物が、実物にせよ、情報のみにせよどこかからひょっこり現れてくるやいなや、いや~な気分が甦ってくるもです。

 

その人の本性を知っているとき、その人の書いた本、その人の出ている番組など見たくもない、という経験をしたことのある人もいるかと思います。さらに、あんなひどいことをする人が、よくこんな本を堂々と書けるものだなとか、よく言うよとか、サスペンスドラマに出てきそうなシーン。

 

私自身もそうですが、人間というのは複数の側面を持っているものです。自分自身への他の人が持つ感想は多様なのものです。

人間関係というのは相性もありますし、その時の気分のありどころとか、意思疎通とか、言葉の概念とか、うまくいかない理由は様々あります。

Aさんにとっては良い人でも、Bさんにとっては悪い人、ということは自他ともに日常茶飯です。

もともと価値観が違うのであれば、それはもう致し方ないこと。

私が先日、お腹に鉛を入れられてしまった人は、唯物的で非常に自己中心的な人でした。…のように私には見えていました。芸術へのテクニック信仰が半端ない。私はついていけませんでした。茂木健一郎さんが呪ってやまない偏差値至上主義的な。そして才能主義で権威主義ということを考えると差別主義者でもありましたね。

 

Gotch@gotch_akg
例えば、ロックという村を勝手につくって、そこにロックかくあるべきみたいなルールがあるならば、俺は別にロックじゃなくていい。村民になんてなりたくない。村の側に立って、村の掟を誰かに強要するくらいなら、ひとりぼっちでいい。自由にやりたいだけ。自由に楽しんで欲しいだけ。

私も同じ気持ちですなどと言っては失礼かもしれませんが、「ロック」を自分が思うところの言葉に入れ替えることができると思います。

 

片柳弘史@hiroshisj
「ありのままの自分を
 受け入れることができれば、
 どんな悪口もあなたを
 傷つけることができないし、
 どんな称賛もあなたを
 思い上がらせることができません。」
 マザー・テレサ
『世界で一番たいせつなあなたへ』より。
(PHP研究所刊、文/片柳弘史、絵/RIE)

「ありのままの自分」「本当の自分」をテーマに「タロット占いセラピー」の仕事をしている私。そんな私が傷ついているのもお恥ずかしい限りですが、けれども私も相談者さんたちとともに、常に学び、成長している、そう思っています。

 

今回の鉛の放り込みは、初心に帰る機会にもなったのかもしれません。

もしかしたら、気づけよ!と稲妻を落とされたのかもしれません。まさに「塔」のカードです。ちょっと最近サボっていることがあり、もういいか、などと怠惰の気持ちが芽吹いている感もありましたゆえ。

 

傷つくのも、相手のあることではありますが、傷ついているのは自分自身ですから、ポジティブに変容させることは十分に可能なのだと思ます。

 

「傷つくことだけ上手になって」は、読んだことがないのですが、どんな内容なのでしょう。いずれにせよ、それだけ上手になってはいけませんね。

いや、心や感情がある限り、まったく傷つかない人間などいないでしょうから、「上手に傷つく」のは良いことなのかもしれません。

と同時に、他人を傷つけてしまうことは極力さけるよう思いやりの心を人々が持って生きることは、理想かもしれませんが、大切なのだろうと思います。