今年は、驚くべきことが本当に多いですね。
自然災害は毎年毎年、想定外を更新していきますが、
今年は、「え?」とか「え~」と思考停止したり、叫んでしまうような著名人の死や引退が多い、と私は感じています。
こちらのサイトでも書きましたが、さくらももこさんの死はそのなかでも私にとってはとても激しく悲しい信じられない「え?」でした。
信じられない「え?」がもうひとつあります。
貴乃花親方です。
こんなことがあっていいのですね?とても信じられないのです。
一代年寄ですよね。
相撲界に大きな功績を残した力士に認められる年寄のことで,理事会が決定する。日本相撲協会にある 105の年寄名跡のほかに,力士名がそのまま年寄名とされる。資格は本人1代かぎりで,定年または廃業すれば自然消滅してしまう。これまでに,大鵬と北の湖と貴乃花の3人が一代年寄となっている。
(コトバンク/出典/ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
そもそも貴ノ岩関の問題があったときから、協会サイドは貴乃花を追い出そうとしているのかな、という雰囲気を(テレビの前でですが)私は感じていました。
貴乃花が「やめます」と言ったらどうするんだろう、とそのとき思っていたのですが、本当にそうなってしまいました。
そして理事の人々は、どうするんだろうどころか、理事長は「どうしてやめるんだろう」とおっしゃいました。「え?」。これも「え?」のひとつになりますか。
しかもなんかすっとぼけたような表情で。あ、本当にホントに「どうしてだろう?」と何が何だか分からなく戸惑っておられるということなのでしょうか?いや~、それはないでしょう。もしそうだったら、理事長として無能と言わざるを得ません。
さすがにそうなったらみんな焦って、圧力を手加減するとかなんとかするんじゃないか、と思っていましたが、焦っている様子も、これは大変なことになったという意識も皆無のように見えました。残念と言うけれど、残念がっているオーラもない。
大鵬も北の湖も亡くなって、一代年寄がいなくなりました。千代の富士も亡くなりました。これで、大横綱と讃えらえる力士がいなくなったわけです。
大鵬、北の湖、千代の富士は、貴乃花をかわいがっていたそうですね。
相撲取りの人たちには、いわゆる「リスペクト」という感覚がないのでしょうか?他のスポーツにあるように。相撲はスポーツなのかどうなのかという話題ももちあがったことからしますと、不可思議な力学や、いささかの神秘性が働いているのかもしれません。日本の神話に出てくる神様たちのような。
2018年10月3日 毎日新聞夕刊「カンニング竹山のノンフィクション」に
「あの貴乃花を…、いいんですか?」というタイトルのコラムがありました。
納得がいかないことは生きているといろいろあるが、この問題は、自分には関係のないことと思いながらも、どうしても納得がいかずにイライラしている、という書き出しではじまっています。
例の貴乃花親方“引退”問題である。読者の皆さんは本当のところ、どうお考えでしょうか?納得がいっていますか?あの貴乃花ですよ、大横綱ですよ、長年の歴史がある部屋ですよ。いいんですか?なんだかあっさり終わってしまって。
タイトルそのままがまったく私の気持ちですし、ここに書かれているまんまが私の驚きです。
え?いいんだ、こんなこと。
いや、それほどの何と言いますか、驚愕を越えたフェイクのような現実。
八角理事長も「話し合おうと試みたが、連絡が取れなかった」じゃないでしょう!
本気で辞めさせてはいけないと思ったら、マスコミがいようがなんだろうが、理事長本人が貴乃花親方の首根っこをつかまえに部屋でもなんでも行けばいいじゃないですか。(略)私たちが望んでいたのは協会の本気なんです!
日本相撲協会が、税金が優遇される公益財団法人だということ。放送権などの関係から、メディア側も本気で一太刀浴びせようとしないこと。全てに私は納得がいきません。まあ、私には全く関係のないことですが。
貴乃花親方、参議院選挙に出馬か、という話もあります。これは本人の気持ち次第でしょう。あるいは政党がどう口説き落とすか。
ご本人は、何をしていくかこれから考えていくとおっしゃっています。どう相撲にかかわっていくのか。政治家になるのか。饒舌な方ではないので、文筆業のほうが向いているのかもしれませんね。
スポーツ界全体にはびこっているパワハラ系指導。ボトムアップ指導、選手に寄り添う指導(大坂なおみ選手のコーチのような)に改革していく、そこまで守備範囲は広くないのかな、とは思いますが、一助となってくれるのでしょうか?
そしてこれは、スポーツ界だけではありません。
貴乃花親方引退。私には、本人の意志でやめたというよりも、彼らが彼の追い出しにしらっと成功した、というように見えてしまっています。
おとなしくしていないとやっていけない隷従的日本社会。不都合は身内でもみ消す慣例。これも日本人のDNAなのだとしたら、貴乃花は相撲という日本文化のど真ん中にいながら、そのDNAには欧州的な要素が入り込んいるのでしょうか。それとも、もしかしたら、協会のやり口への抗議を除けば、極めて日本的な人なのでしょうか。
礼節の概念が、食い違っていることは確かなようです。