ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

「ただ」でする仕事ってなんだろう?「ただ」でしてもらえる仕事って何だろう?②~演奏とか占いとか~

「ただで占ってくれない?」

私はタロティストです。

タロット占い師です。占術は「タロット数秘術」と「タロットカード占い」です。

 

このツィートに書かれていること、私も同じことを感じることがあります。 

kanana*violinist@kana_vn1222
「ただで弾いてくれない?」

この言葉があまり好きじゃない。だって音大で技術と精神を研き、全てを音楽に捧げた人に「ただで」って簡単に言ってほしくない。医者に「ただで診て」とは言わないのに、なぜ芸術だとボランティアになってしまうのか。音楽家は死ぬまで勉強。精神を削る命がけの仕事。

 

 「ただで○○する」

いや、そういうときもあるでしょう。

例えば演奏なら、何かの集まりで自然と演奏するようなシーン。

占いもあります。とくに友人知人など。相談事があるので占ってほしい、などと特別な依頼があれば、相談者も私も「仕事」としての意識を持って、正当に料金を支払ってもらい、そして頂くことができます。もしかしたら、お金はいいよ、などと私から言ってしまうこともあるかもしれません。あなたからはいただけないよ的な。

けれどもそんなことをしていると、極端なことを言えば「占い」の場合、誰からも正当な料金をもらうことができなくなってしまいます。

演奏家は、演奏会のチケットを買ってもらうわけですから、占い師のような恐ろしい循環はないと思いますが、友人を誘うときは、チケットを買ってもらうのか招待なのか、迷うこともあるかもしれません。けれどもこれも、いちど奢ってしまうと、次から買ってと言えなくなるかもしれません。

これはねやはり、演奏会に行く側が、しっかりと料金を支払うという心積もりを常に持っていることが礼儀なのだろうと思います。

 

こういうことはどっちもどっちで、「ただ」を与えてしまう人は、他人からも「ただ」を期待する傾向があるかもしれません(なかには、自分はがっちり頂くのに、人にはただを要求するというトンデモ人間もいますが。そういう人から逃げたほうがいいです)。

これは私自身の反省ですが、友人に歌手がおりまして(大ヒット曲を持っていて紅白にも出場しています)、あるとき彼女のライブに誘われてチケットは会場に用意しておくからと言うので招待してくれるのかと思いきや、しっかりチケットを買わされて、そのうえお高いお店だったので、プラスのお食事料金に困ったことがありました。そんなことが数回。

彼女、うちに遊びに来るときも手土産ひとつ持ってきたことがありません。

そこは徹底しているのだな、としばらくしてから思い至りました。

ファンや友人を区別しないルールを決めているのだろうと、ポジティブに理解しました。いや、もしかしたら、気が利かないだけなのかもしれませんし、私という存在が彼女のなかで優位な扱いをする位置にいないだけなのかもしれません。分かりません。 

私はどちらかというと情にもろく「申し訳ない」が先に立ってしまい、損をするタチです。ですが、この人は無料にしてあげて、あの人は有料、という区別は逆に失礼ですよね。ですので、情にもろくなりそうなときには、彼女のことを思い出すようにしています。

 

「占い」はスピリチュアル系の仕事なので、もっとやっかいなことがあるのです。

いわゆる霊能者などもそうだと思いますが、「そういうことは無料でやるものだ」と思っている人が、仕事をする側にも、相談する側にも、両方ともにかなりの割合でいるのです。

「占い師」というと、詐欺だったりインチキだったりという評価や冠を付ける人は大勢いますし、実際、霊感商法を行っている人たちもいます。また、おれおれ詐欺や投資詐欺同様、騙される人も大勢います。カルト教団のごとく。占い師のなかにも、教祖のようになっている人はいます。ですので、金を取るのは詐欺の証拠、くらいの評価が定着しているのかもしれません。

 

私の相談者さんは、占い師を心療内科と併用してくださったり、そちらへ行く前に利用してくださったり、人生選択のヒントや後押しや確認に使ってくださったり、恋愛でも仕事でも何らかの安心や注意事項を得ようとしてくださる方々がほとんどです。

私はあまり無謀な方にお会いしたことはないのですが、占い師の言葉に激怒してお金を支払わずに帰ったといったような話も聞きます。でもそれは、無銭飲食と同じですよ。犯罪です。通報されます。でも占いだとそれが許されると思っているのかもしれません。

 

占いにどれほど価値を置いているかにもよりますが、占いをしに来た、ということはすでにそこに何かを求めているわけですから、「無料」ということはあり得ないのですが、とてもケチる人、ケチろうとする人はいます。

お金に余裕がないという人もいるでしょうが、明らかに、こんなもんにこれ以上は払えないよ的な人も、男女問わずいます。それは伝わってきます。

日本人は「対価」ということにいささか無頓着なのかもしれません。と言いますのは、外国の方を占うことも多いので、思わず知らず比較してしまいます。

もちろん人種ではなく、個人によるとは思いますが、アジア系や南米系の人のなかには値切る、ということはあります。そもそもそういう文化なのだと思います。

アジアでも中国系の人は、見合った料金をしっかりと支払ってくれる人が多いです。

日本人の場合は、少しでも得をしようとする人をよく見かけます。そう思ってしまう気質が不景気のなかで身についてしまったのか、もともとそれが日本人気質なのか、あるいは、「占い」「スピリチュアル」といった目に見えないものは胡散臭いという風土なのかもしれません。なにしろ「宗教」「信仰」というものを明確に持っていませんし(そういいつつ、結婚式は神社や教会、葬式や墓は仏教、という習わしに従っているという不思議)、新興宗教のイメージも手伝って警戒している、というようなこともあるのでしょう。

時間オーバーしている場合、私は無理に加算したりしませんが、中国の方はその分もしっかり自ら払ってくれる場合が多いです。日本人は残念ですが、「すみません、こんなに長く話してくださって」とはおっしゃいますがお金を置いていく人はまれです。それどころか、時間を気にしながらも、すみませんもうひとついいですか?と無理強いしてきたりします。「いいじゃん」って感じなのでしょうか。その場合、簡単な質問なら受けますが、そうでない場合はお断りするか、延長してもいいですか?と尋ねるようにしました。ルールを守ってくれている他のお客さんに申し訳ないですからね。

もちろん、さらに尋ねたいことがある場合、延長お願いしますとおっしゃる礼儀正しい相談さんも少なからずいます。

 

「占い」「霊能」「スピリチュアル」に関しては、そんなことは「ただでやれ」といった風潮が日本人にないとは言えないでしょう。そしてそう考える人のほうが常識人である、と考える人が多いのかもしれません。

けれども医者には「ただ」でみてくれとは言わないように、細木数子に「ただ」で占ってくれと言う人はいないでしょう。

 

私も「占い」の仕事については、始めた当初は自信を持てなかったりで、葛藤もありました。

けれども、私の師匠がこう言いました。

「お金はちゃんと取らなければいけません。それだけの訓練を積んでいるのですから」と。

霊能者だったか占い師だったでしょうか、はっきり覚えていないので名前は申しませんが、その人があるときこんなことを言っていました。

「占いで仕事を始める人は、遠慮しないでしっかりお金を得てください。だってそれまでに高額の勉強代金を使っているのですから」

上記のツィートの人はヴァイオリニストのようです。ヴァイオリンのレッスンや楽器に使うほどの金額は使っていませんが、私も「ただ」で学んだわけではありません。この世のあらゆる仕事同様、お金と時間を使って勉強しました。

 

これは私自身の問題ですが、

始めたばかりのころは、お金をいただくことを極めて原則的にすることができなかったことがあります。お店の場合は、そのお店のルールがありますが、個人的に呼ばれるときには、私が全てを決定するわけですので。

けれどもこれも、自分の仕事内容に自信がついてくるに従って堂々とすることができるようになりました。自分で自分の仕事に正しく価値をおくことができるようになったのかもしれません。

占いの料金はもとより、喫茶店の場合のお茶代金のルールなどは、はっきりと決めておくことで相互依存も起きにくくなります。お茶の場合は、奢ったり奢られたり、ということがあります。ルールは決めていますが、奢らせてください、と言ってくださる相談者さんには奢っていただくようにしています。ご厚意を素直に受け取らせていただくこともまた礼儀だと思っています。が、それを求める気持ちが私のなかに慣れとして常に起きてくるようにならないよう心掛けています。自分の心のコントロールは難しいですね。

チップ的にくださるお金もそうです。満足してくださった相談者さんから頂くことがあります。物を頂くこともあります。

これも、先輩占い師に言われました。

「拒否するほうが失礼だから、ちゃんと頂きなさい」と。

 

音大で技術と精神を研き、全てを音楽に捧げた人に「ただで」って簡単に言ってほしくない。医者に「ただで診て」とは言わないのに、なぜ芸術だとボランティアになってしまうのか。音楽家は死ぬまで勉強。精神を削る命がけの仕事。

その通りだと思いました。ゆえに反応したのです。

音楽と占いをいっしょにしないで、と言われてしまうかもしれませんが。

芸術だと自分が楽しんでるんだろう、と思う人もいるのかもしれませんね。目に見えない価値、というものを認めにくい性質の日本人ですから。

「芸術なんて遊びだ」と言っている人に出会ったことがあます。一方で「お前には芸術なんか分からないだろう」と優越と軽蔑を示す音大の学生のインタビューをテレビで見たことがあります。余談ですが、インタビューをしていたアナウンサーも憤慨していました。私も、こんな心持ちで音楽をやっている人の演奏など聴きたくもないです。

いずれにせよ、大学でも学者でもどこでも人文系、文芸を軽視する、という欧米とは違う状況が日本にはあるのではないかという背景は無視できないのかもしれません。

もしかしたら上記の尊大な音大生、そういった世の中でいささか突っ張ってしまっていたのかもしれませんね。でも、そんな気持ちではいけませんね。

 

私も、師匠のもとで技術と精神を研きました。

占い師も死ぬまで勉強だ、と私は思っています。

 

すこ~しずれるかもしれませんが、

わだにぃ@M9stIWtaoNqBXb9
外国人の生活保護が!とか 朝鮮学校補助金が!と熱くなっている人達は、その支給がなくなったら 自分達にその分のお金が回ってくると思っているんだろうか…?

エリック ・C@x__ok
自分に利益が無くても他人の利益が許せないのです。しかし問題は、他人の利益ではなく社会全体の安定の為にあるということが理解できていないことが一番の問題。

「ただで弾いてくれない?」の気持ちの根底にある、ある種の無神経で性悪根性的なものが、「自分に利益が無くても他人の利益が許せないのです。」と共鳴しているように感じるのは、思い過ごしでしょうか。