ねことんぼプロムナード

新しいルネサンスの小径

星野源の共感~「半分、青い。」と「アイデア」と「壮絶な叫び」~

2018年8月24日NHK「あさイチ

ゲスト/星野源

 

星野源といえば、今をときめくシンガーソングライター。

半分、青い。」の主題歌「アイデア」。私は個人的には最高傑作ではないか、と思っています。「逃げるは恥だが役に立つ」の主題歌「恋」も、「恋ダンス」ともども大人気でしたが、そのはるか上をいっている、と感じるほど、「前向きかつ辛辣」に人生を歌っている、そんな感じがするのです。

 

星野によりますと、

「アイデア」にはこれまでの自分を全て詰め込んだ、そうです。

歌詞にも、これまでの楽曲のタイトルだったり歌詞の一部だったりをはめ込んでいます。

2番3番の歌詞がすごい、と誰がかツィートしていたのですが、その通りで、つまり「人生をシビアに歌っている」部分です。

ここは、自身の「闇の部分」を歌ったそうです。

ポジ、ネガ、ポジ、ネガ…、という流れが、まさに「鈴愛の人生」そのものなのですが、この歌をつくったときには、まだ台本が5冊の段階で、こんな感じのドラマになります、くらいしか分かっていなかったとのこと。

ぴったりはまりすぎるほどのシンクロは、名作の醍醐味でもあるわけです。

 

星野源が共感する「半分、青い。」の名シーンは第14週にありました。

鈴愛がまだ東京の秋風羽織事務所「ティンカーベル」でマンガを描いている時代。

そして、マンガが描けなくなった自分に気づき、やるせない思いを爆発させるシーン。

確かにここは共感…というよりも、「壮絶」なシーンだと思います。

鈴愛役の永野芽郁の迫真の演技も見どころ。

 

なんとか苦労してマンガを描き上げた鈴愛。しかし、自分でも全く満足していない。

けれども、秋風先生(豊川悦司)は、ダメだしをしない。

ユーコ(清野菜名)とボクテ(志尊淳)も心配している。

 

スズメ「どうして、前みたいに、なんだこの紙屑って言ったり、こうしてカラスの羽みたいに放り投げないんですか?何でですか?これクズですよね。
なんで前みたいに、律くん結婚するっていいじゃないか。それを描くんだ楡野、その痛い心を見つめるんだ、そこから逃げるなって言わないんですか?
私を見限ったからですか?」
ユーコ「ズスメ、自分が描けないからって先生にあたっ…」
スズメ「うるさい。逃げたやつに何が分かる」
ボクテ「ちょっとスズメちゃん」
スズメ「売れてるボクテは、私を見て笑っている。高みの見物だ。私はこの夏で28だ。でも結婚もしてない。恋人もいない。漫画はどん詰まり。結婚もして、子供もいて、お金があるユーコに何が分かる。私は、私にはなんにもない」
ボクテ「スズメちゃん、落ち着いて」

 

少し長くなりますが、星野源の感想を載せます。

いつ見ても泣きそうになる。このシーンを観たときにその…。
僕はその、好きなものを仕事にできたすごく幸せな人間だなと思って、日々、こうなんか、ありがたいなって思うんですけど。
その、好きなものを仕事にしたりとか、何かものをつくる仕事をしたりとか、という人たちが、僕も含めて、たぶんみんなが抱えているであろう…、別にただやりたいだけなのに、なんかやったらその競争のなかにおかれてしまって、ただ好きでこれ聞いてよっていうだけなのに、いつの間にか競争なかに巻き込まれてしまったりとか。
あと、その、物づくりをして、例えばその、これが受け入れられなかったらどうしようとか、次どうなるんだろうとか、本当に安定性がない仕事じゃないですか。
そのなかで、そういう人たちが、みんな抱えてる恐怖とか不安とか怒りとか、そういうものを、全部背負って芽郁ちゃん(スズメ)が表現してくれたような感じがして、なんてすごいシーンなんだろうと思って。お芝居もすごいし。
物をつくって人に楽しんでもらうって仕事をしてると、楽しい部分っていうのが伝わってほしいと思いつつ、その裏側でその怖さとかってのが無限でたまっていくというか。
なんかそういうのをいつもこう……で、出して喜んでもらえると、あ、良かったぁみたいな。
あのときにこの曲がつくれてなかったらどうしようとかっていう怖さとか、あのときにあのお仕事ができてなかったら、スケジュールがなくてあの仕事ができてなかったら今の自分はないとかって考えてるともう、コワってなるときがいっぱいあって。
なんかそういう、怖いとか、なんなんだよっていう、なんかそういうものを全部彼女が背負って、代わりに言ってくれたような感じがして。
もうひとつの自分の姿だったかもしれないっていう、なんだろう、物語のなかの突き放した存在に見えないっていうか。なんかすごく身近な人に見えるっていうか。
こんな主人公なかなかみたことないっていうか。

 

ユーコは結婚、ボクテは売れっ子漫画家に。

スズメは漫画が描けなくなり、律は結婚。

そう辿ると、スズメが「私には何もない」と叫ぶ気持ち、よく分かります。視聴者にも十分すぎるほどに伝わっていると思います。

あんなに、こんなに、がんばってきたのに。人生ってなんなんだ。

そんな風に感じている人はきっと世の中に大勢いるはずです。そんな人たちはきっと、スズメの状況と正直な心の吐露に自分を重ねていることでしょう。

 

星野は自分のことを「好きなものを仕事にできたすごく幸せな人間だなと思って」と語っています。つまり裏を返せば「好きなものを仕事にできる人」はそう多くない世の中、ということです。このシーンのスズメの姿を「もうひとつの自分の姿だったかも」と言っていますから、少なくとも現在の星野は「そちら」ではない、ということです。

私には何もない、と思うことが星野にもいっぱいあるということですが、全く何も手にすることができなかった人からすれば、それはある種、レベルの高い悩みでもあります。
ですので、現在もがき苦しんで絶望の淵にある人からすればそれは言い過ぎじゃないですか、と私はちょっとつっこみました。

けれども創作者というのは、そういうものなのでしょう。いつアイデアが、インスピレーションが途切れるか分かりません。いわゆる泉が枯れる、ということ。

どこかへ行ってしまった「アイデア」は、ぶつんと糸の切れた風船のように、あるいははじけてしまったシャボン玉のように、二度と帰ってこない。あれ?昨日まであったのに…さっきまであったのに……。

成功すればするほど、怖いのかもしれません。

 

あのときにこの曲がつくれてなかったらどうしようとかっていう怖さとか、あのときにあのお仕事ができてなかったら、スケジュールがなくてあの仕事ができてなかったら今の自分はないとかって考えてるともう、コワってなるときがいっぱいあって。

これは逆に言えば、シンクロニシティに従ってくることができた、ということです。否定形で語っていますが、あのときスケジュールがぴったりあって、あの仕事ができて、あの曲が書けた、そして今がある、ということですよね。

そこには、様々な人とのつながり、そしてもちろん本人の努力と意志、夢があったのだろうと思います。が、シンクロというのは不思議なことにすらすらと起きてくるものです。ゆえに「努力しなくても」と表現する人もいます。

 

別にただやりたいだけなのに、なんかやったらその競争のなかにおかれてしまって、ただ好きでこれ聞いてよっていうだけなのに、いつの間にか競争なかに巻き込まれてしまったりとか。 

 この「競争」という概念。

学校の勉強も仕事も生活も、なにもかもに順位がつけられてしまう経済至上主義社会、消費社会。

純粋な心が「大人社会?」に巻き込まれて毒される感は、あらゆる場面にあります。政治家もそうなのでしょう。

そんななかで活躍している星野源は「天才」です。「おげんさんといっしょ」も超面白い、良質な番組ですし。

 

さて、ネガをポジにすぐに切り替えることができる鈴愛。「思いつき」人生と言われることもありますし、波瀾万丈に見えるかもしれませんが、こんな主人公めったにいないし、こんな人生もめったにないかもしれません。

いや、本当は誰にでもできるのに、やっていないだけかも。

つまり、ネガをポジに変えるパワー。

さらに創作者のネガとポジという意味で言いますと、星野が言うように、楽しさ(ポジ)を提供するその裏側に、ときに恐怖や苦痛を感じている自分と向き合いながらの作業(ネガ)がある、ということもこのドラマは伝えてきてくれているのかもしれない、と星野の話を聞いていて思いました。

 

そういえば、萩尾律の実家は写真館です。

先週も、律のお父さん(谷原章介)が現像していましたが、

写真のフィルムって、ネガですよね。それをプリントするとポジになる(ごめんなさい。専門家ではないので、感覚と思いつきで喋っています)。

萩尾写真館は、そのメタファーあるいはシンボルだったのかしら。

 

上記ドラマシーンについてさらにこう思いました。

何かに果敢に挑戦した人ほど共感できる人生の場面なのかもしれません。

けれども、ここまで絶叫できる人はそうそういないでしょう。むしろ「恥」を感じて黙る人のほうが多いのではないでしょうか。

さらに言えば、ボクテやユーコのように、まるごとそれを受けとめてくれる人物は、まずいません。だから黙るのですが。人は、残念ながら他人の失敗や不成功が大好き。まんま受けとめて、まんま返すのが常套です。

周囲の人々に、それこそ「共感力」があるのは、そこは「ドラマ」なのかもしれません。

 

つづく日々を奏でる人へ
すべて越えて届け

 

「アイデア」の歌詞、ホントすごい。