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「“あとで……はない”のだから捨てる」お片づけ&処分シニアの心得〜60歳からのわがままタロットセラピー8

60歳からのわがままタロットセラピー

=やりのこさないために=

=ご都合主義シニアのアジール

 

僕の生きる道」(2003年フジテレビ)というテレビドラマがありました。

草彅剛演ずる高校教師の中村が、ガンの余命宣告を受けてから自分の短い人生を振り返り、残された命を力強く生き、生徒たちに大切なことを伝えていく、という毎話涙が溢れ出すたいへん良質のドラマでした。当時の草彅はSMAPのメンバーでしたが、お涙ちょうだいの病気ものアイドルドラマとはちがっていました。脚本は橋部敦子(「僕のいた時間」「僕らは奇跡でできている」など)です。

第2話では、職員室の机の引き出しを整理整頓していた中村先生が、そこに無造作に仕舞い込まれている本を見つけます。「読まなかった本」です。中村は教室で、今読まなければずっと読まれることのない本について語り、今を大切にすること、悔いを残さないことを生徒たちに語って聴かせました。私がとても気に入っているエピソードです。私はこのドラマについて「死神幸福論」のなかでも取り上げていますし、複数回あちらこちらで書いています。

中村先生は29歳という若さで亡くなるのですが、余命に限りが見えるという側面で、シニア世代と同質の感覚をそこに読み取ることができます。ひとつ違うのは、当面健康なシニア世代にはあとどのくらいの命が残されているのかがあまりにも漠然としているところです。ほんの数年の人もいれば、あと30年40年、100歳を越える人もいるでしょう。

 

残りの人生が少なくなってきた今、お片づけ&処分作業をしていて私が思ったのは、「保存の意味がない」ということでした。若いころにはなかった感覚です。

保存しておこう、残しておこう、取っておこう、という選択をするのは、あとで使おう(使えるかも)、あとで見よう(見るかも)、あとで読もう(読むかも)、あとで必要になるかも、という意志が働くからです。

 

最近はいわゆる「終活」が定着しつつあり、遺産も含めた身辺整理をしたり、残された時間の過ごし方について考えたりする人が多くなっているようです。高齢化社会になり、すなわち平均寿命ものびたことによって、いわゆる老後の生活というものを考えざるを得ない状況ということもあるのでしょう。老後をテーマとした書籍などもよく目にします。同時に「孤独」というテーマも語られているようです。「孤独」についてはまた別に書きます。これは、タロットカードで言うと「No9隠者」のエネルギーになります。

 

お片づけ&処分は、なにも終活だけの専売特許ではありません。あらゆる年代の人々が人生のあらゆる場面や機会をとらえてする作業で、年齢によってもその内容や意義、そしてその過程で得る発見は変化するものです。

60歳を過ぎればなおのこと、それまでとは大きく心持ちが違うものだなということを私自身、体感しました。

今回のお片づけ&処分作業の最中、「捨てよう」と決めたものをゴミ袋に詰めながら「これたぶん50歳だったら捨てないだろうな」と思うものもありました。「あとで……がある」と感じるからです。あとで読む、使う、必要になるかも、と思う気持ちの方が50歳ですとまだ強く働くはずなのです。現実にそうしてきたからこそ今こうして残っているわけです。

10年の年齢差は良かれ悪しかれ大きいようです。50歳の時点では「あとで……がある」と無意識に感じてきたわけですが、「あとで……がない」という感覚は60歳を過ぎてはじめてやってきた感覚でした。これもう「絶対」読まない、見ない、使わない、と。「絶対」などということはこの世にはないのですけれど、それでも「絶対ない」と力強く思いながら次々と処分していく自分がそこにいました。無理やりでも義務感でもなく、誰かの言動に踊らされているのでもなく、自然とそういう思いが湧き上がっていたのです。なんと言いますか、これほど逡巡しない断念の感覚というのは、もしかしたら生まれてはじめてと言っても過言ではない、ちょっと新鮮なものでした。「死神」カードのエネルギーの潔さを肌で感じました。

 

平均寿命も上がっている21世紀ですが、私は、ここから先の人生をとりあえず10年と見積もったのです。それより短くなるかもしれないし、長くなるかもしれません。短くなるならなったで今覚悟を決めて処分することに何ら問題はありませんし、長くなったならそこでまたお片づけ作業をすればいいだけのことです。その区切りを設定するところで迷ってしまうと先へ進めません。60歳だったら「とりあえず10年」は、ちょうど良いスパンではないでしょうか。3年5年だと短い気もしますし、4年とか6年だと気分的な中途半端が否めず、私はイメージしにくいです。正確さではなく、あくまでもイメージが大事ですので。

大人の10年というのは見た目はけっこう老けますけど、あれこれやろうと思ったら、思うほど長くありません。毎年「もうクリスマスかぁ、お正月かぁ」ってなりますよね。ですのであと10年、と考えたら「それら」を見たり読んだり使ったりすることは今後まず「絶対ない」と思ったのです。でも、40歳だったら?50歳だったら?「それら」を必要とする時がくるかもしれない、くるだろう、と思えるくらいにまだまだ人生の残り時間を幻想的に長くとらえているのです(実際まだ余裕はありますが)。

 

例えば私の場合、資料などの紙類が大量に家のなかで幅を利かせていました。東日本大震災のときには、もともと落ちそうな状態で押し込まれていた本棚の上の資料たちが、しっかり落ちてきました。それらは、40歳50歳ではなかなか捨てられなかったのです。なので押し込められていた。そこにそれらがあることは分かっているのです。いつか整理しなきゃと思っているのです。そういえばクローゼットのなかにもあるよなぁなどと思いつつ、いたずらに年月が過ぎ去っていたのです。

けれども60歳という老齢期をいよいよ迎えた処分大会でそこに手をつけたとき、あと10年の間にこれ、絶対読まないし、見ないし、使わないよな、と本気で強く明確に思ったのでした。

「だってそんな時間、もう残ってないじゃん」

そう、そんな悠長な時間、残ってないのですよ。

いわゆる「バケットリスト(BUCKET LIST)」を作って、死ぬまでにしたいことを列挙してみてください。

10年のうちにもっと他にすることがある、したいことがあります。読みたい本、観たい映画、学びたいこと、食べたいもの、使ってみたいもの、行きたいところ、住んでみたい場所などなどがあります。すぐには手に入らないものもありますし、計画が必要なこともあるでしょう。そう考えると、10年なんてあっという間ですよ。

古いもの、不要物を捨てようと決心した途端、その古い物たちにとらわれていた私の心は解放されて、惜しむ気持ちはなくなっていました。いや、惜しまないので解放されたのかもしれません。

繰り返しますが、これは「No13死神」カードのエネルギーそのものです。

この決意に至った気分は、体感とともに私のなかの新しい気づきとなりました。腑に落ちる、とはこのことでしょうか。

シニア期に入った私には「あとで……はない」のであり「あとがない」のです。

 

それでも、厳選したわずかなものは残しました。それらは次の機会に処分されるかもしれません。

 

60歳というのは、実は政治家たちが考えるよりもとても適切な年齢なのかもしれません。そう考えますと、年金は60歳からの支給が本当は理想的だったのだと思います。今は65歳、さらに75歳などということを政治家たちは言い出しています。働くのもいいですが、余裕を持って働かせていただきたいものです。生活費のためだけの賃労働をしながらゆとりなく死んでいくのは、人間として悲しい。これは、国の責任でもあると私は思っています。

十二分な金銭の蓄えがないのは自己責任でもなければ単なる自助努力の結果でもありません。この文化や知性を無視するかのような人間の格付けシステムは、何千年も解決せず、資本主義とともに更に大きくなった課題と言えましょう。

 

余談はさておき、60歳という年齢は「あとで〇〇」は「ない」と本気で思って考えることができる年齢なのではないか、と2020年に思ったわけです(2020年とわざわざ書いたのは、2030年に思いが変化していることもあるかもしれないからです。人も社会も変化し成長しますので)。

 

冒頭で触れました「僕の生きる道」第2話のエピソード「読まなかった本」。

これも「あとで〇〇はない」ということなのです。すなわち、あとで読もうと思って仕舞っておいたその本は、余命宣告をされた中村先生にはもう読まれることのない本なのでしょう。いやいや今日読むかもしれないでしょう、今読めるじゃん、というツッコミのような反論もありましょうが。

中村先生は、自分の人生の道の今現在立っている位置から、その読まずに職員室の机の引き出しに仕舞い置かれていた書物を見たとき、おそらく一瞬にして悟ったのではないでしょうか。その本を買ったときは、忙しかったりなんだりで「あとで(時間ができたら)読もう」と思っていた。その時はいつか来ると思っていた。けれど今、死を前にして自分の机を整理しながらその本を見つけたとき、そのとき思っていた「あとで」はもうない、あのときいつか来ると思っていた「あとで」はもう来ないんだ、と悟った。

ゆえに「今しないことは後でもしない。すべきこと、したいことを今しなさい」と、進路に迷う高校生たちに伝えたのです。静かなる渾身のパワーで。

そして「人はいつ命を失うことになるのか分からないのだから」と。

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