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「僕らは奇跡でできている」第6話~本当に行くべき道に気づくとき~自分を好きになりたい~

このドラマは、いったい何を言わんとしているのか分からない、理解できない、ただのファンタジーだ、意味がわからない……と評する、いわゆるドラマ批評家たちは多いようです。

あぁそうなんだ、本当に分からないんだ、というのがその批評を聞いた私の感想です。

何で分からないのだろう。いや、たぶんあちらも、何で面白いの?どこが?とこのドラマファンに対して思うことでしょう。

ドラマを観る視点、ドラマに求めているもの、期待しているもの、面白いの観点、興味関心の範囲、感じ入る心の琴線などなどは、人によって違います。ですので、ドラマそれぞれに賛否両論あるのは当たり前で、否定まではしないものの、面白い・面白くないの観点はあらゆるドラマに「ある」。

人生の場面場面でも違うでしょう。例えば、恋愛真っ最中、恋人募集中の人には、恋愛ドラマがぴったりはまるでしょう。

そんななかでも刑事捜査ものは、サスペンスを楽しむので、ストーリー演出構成が上出来なら、一般受けするのだと思います。もちろん、そういうの大嫌い、という人もいます。「ハリー・ポッター」だって「スター・ウォーズ」だって、苦手で見たことない、という人は意外といます。映画評論家にだって嗜好はあるでしょうが、彼らはSFニガテなんだよねぇ、と言って観ないわけにはいかないでしょう。

映画でもテレビドラマでも、批評家にも好き嫌いはあるでしょうから、それはそれでいいのですが、「僕らは奇跡でできている」を理解できない、ファンタジーだと言い切って見下すかのような批評には驚きました。そもそもドラマは全てファンタジーです。ドキュメンタリーとは違います。

このドラマは「学者」「研究者」の世界を描きながら、本当の自分と向き合うことを語ってくれているという、精神性の高いドラマだと私は感じています。表層ではなく、深層ドラマ、とでもいいますか……。

 

さて今週も書きます。

11月13日放送の第6話でも、ナイスなセリフがありました。

「僕らは奇跡でできている」

火曜夜9時 フジテレビ(カンテレ)

出演/高橋一生 榮倉奈々 他

 

前日、相河(高橋)の家で食事会。そのときの忘れ物を育実(榮倉)に届けに来た相河。歯科医院での相河と育実の対話。

相河さんこのまえ言いましたよね。自分にいらっとしたり落ち込んだりするなら、料理教室やめればいい、って。

 

はい。

 

確かにそうかもしれません。でも私は、やめたらやめたでこう思うんです。入会したのにやめた自分はだめなんだ、って。だから、やめてもいっしょなんです。や、それ以上にいらっとしたり、落ち込むと思います。

 

そうですか。

 

はい。

 

自分をいじめてしまうんですね。

 

自分をいじめる…

 

はい。

 

私が言いたいのは、私はそれだけ真面目すぎる、ってことです。餃子だって、この前は確かに形がそろってなくても、やぶれても、なんの問題もありませんでした。でももしまた同じ状況になったら、やっぱり私は形をそろえなきゃって思うし、やぶれたらだめだって思うんです。

 

そうなんですね。

 

はい。

 

帰ります。

 

ありがとうございました。

 

本当はどうしたいんですか?

 

別に餃子にどうしたいもありません。

 

はい。帰ります。

生真面目で頑固な固定観念を持ち、やらなきゃいけないことをたくさん作って、それらがうまくいかないと「だめだ」と思って、どうすればうまくいんだろうとずっと思いながら「だめだ」を繰り返して自分を追い込んでくたびれ果ててしまう状況が、よく描かれていると思います。 

 

(先週放送回で手伝った)リスのフィールドワークのことが気になって、一緒に森に行ってもいいかと相河に電話する育実。森では、相河が作った橋をリスが渡った形跡はない。育実が自分の気持ちを吐露しはじめる。

もしかしたら、リスたちがこの橋に気づいてなくて、向こう側に行くためには、この人間がつくった道を横切るしかないって、思い込んでるのかもしれません。今日はありがとうございました。

 

本当は彼と別れたくなかったんです。あのとき彼を信じられなかった。あのとき、彼を試すようなこと言わなきゃよかった。あのとき帰らないでって、言えばよかった。ほんとは大切に思ってくれてるって分かったとき、連絡すればよかった。

 

今からでも連絡できます。

 

そんなことできません。

 

どうしてですか?

 

彼のこと信じられなかったのに、大切に思ってくれてたからってほいほい連絡するなんて…

 

ほいほい連絡しちゃだめなんですか?

 

だめに決まってるじゃないですか。

 

思い込みかもしれません。

 

自信がないんです。自信がないから、ほんとの気持ち言えなくて、全部自分でぶち壊すようなことしかできなくて。自信がないから、自分がどうしたいかより、人にどう思われるかが重要で、こうしなきゃだめ、ああしなきゃだめって、いつも自分を責めて。そうやって、自分をいじめてました。自信がないから、腕のいい歯科医って思われたくて、留学して審美歯科の技術を学んだり、経営学や中国語を学びました。相河さんの言う通りです。私は、ウサギです。自分はすごいって証明したいんですよ。本当は自信がないから。ほんとは自分が嫌いみたいです。どうしたら自分と仲良くなれるんですか?

 

分かりません。

(そして、リスが橋を渡るところを目撃して驚き喜ぶ二人)

頑固な固定観念は、つまり「思い込み」なんだと語りかけてくる場面。

 

このドラマの主人公は相河ですが、視聴者はおそらくほとんどの人が育実の立場なのだと思います。あるいは相河の学生。育実や学生たちから見える相河は、好きなことを好きなときにして楽しそうに生活している、そのような人物。学生・新庄(西畑大吾)が、相河みたいになりたいとつぶやいたのは、学者になりたいなのか、そのスタンスなのか。いずれにせよ、楽しく仕事をして生きていきたいということでしょう。

 

「自分がどうしたいか」よりも、「他人や世間の目や評価」を気にして生きている、と気づいた育実です。

私が見る限り、それほど育実はいわゆる「いやな女」ではありません。親から引き継いだ歯科医院を地域に貢献しながら守ろうとしている気持ちは本当だと思うし、現代っ子な若い歯科衛生士(トリンドル玲奈)のわがままな言動も。いらつきながらも許しているように見えます。

彼との関係も、私としてはむしろ、この男のほうがはっきりしない奴に見えます。男女で格差があるときにありがちなのかもしれませんが。

極端な状況でなくても、普通な生活のなかに、「本当にしたいことと違うことをしている」という状況はたくさんある、という脚本家の表現なのかもしれません。

 

相河と同じ研究室にいる樫野木准教授も、今話で離婚の理由が判明しました。フィールドワーク。フィールドワークに夢中になっている夫に妻はついていけなくなってしまったのでしょうかねぇ。ゆえに、現在、樫野木はフィールドワークをやっていません。だからいっつも研究室にいたのかぁ。本当はやりたいのかな。動物行動学の研究ですものね。

 

前話までに相河は、大嫌いだった人と仲良くなれた、と言っていました。その大嫌いな人は自分自身だったのです。けれどもその相河は、「どうしたら自分と仲良くなれるのか」という育実の質問に「分かりません」と答えました。

自分で探すしかないようです。

でもリスは見つけました「こっちの道」を。「こっちに行きやすい道がある」ということに気づいたようです。

きっと「それ」「虹の架け橋」はすでにあるのでしょうが、「それに気づくか気づかないかはあなた次第です」……かな。